「お金」はいわゆる一つの幻想 ① 著 者: keimaこと今林
世の中、金・金・カネ・・・・。
とにかくカネのことばかり。
「お金」とは、そもそも何なのか。
あんな紙切れに踊らされ、殺人すら犯す。
人を狂わせる、カネ。
だが、我々が手にしている「○○円札」というものは、ただの幻想なのだ。
世の中お金は必要である。
だがお金とは、「価値を交換する」ために便利なように、
額面の金額とモノの価値の交換が出来るようにしているだけのもの。
いわば、「引き換え券」である。
手元の紙幣を何でもいいから見てみるといい。
「日本銀行券」と書かれているはずだ。
つまりこれは日本がその価値を保証しているから使えるだけで、
実際のところ「お札そのもの」に価値など存在しない。紙とインク代だけだ。
それを忘れて、必死にしがみつくのが今の全世界の姿。
元々、ビジネスとは物々交換から始まった。
価値あるもの同士で等価交換するのが、全ての始まりだ。
もしかしたら、その頃から情報屋が居たかもしれない。
「良い狩場を教えるから飯と交換」といった形で。
だが、困ったことになる。基本的に「モノの価値」は主観的な物だ。
交換する際、1:2か、2:3かでは全く異なってくる。
可能な限り、有利になるようにするのが当然。
すると次に起こるのは・・・紛争だ。
その後、貨幣という思想が生まれたわけだ。
つまり、物の価値の尺度を計るため「モノサシ」を作った。
貨幣にはそれそのものに価値がある。
地金が使われている以上、その金属の価値があるのだ。
だが、100円玉の「モノとしての価値」は100円に満たない。
簡単だ。
地金が100円以上の価値を持っているならば、誰もがそれを融かしてしまうから。
つまり、地金を「造幣」することで、100円玉は100円の価値を持たせている。
これは逆のパターンも存在する。
例えば金貨や銀貨といったもの。
こういった貴金属コインは専門店で手に入るが、必ず「地金+α」で売られる。
それだけの価値があるからだ。
だが、額面に「1000円」と書かれていたら、それがどんなに高価でも、
買い物には1000円としてしか使用できない。
専用の取引を行うことで、地金の価値まで計算してもらえるのだ。
話が逸れたので、一旦ここで区切る。
一つだけ質問を投げかけてみよう。
なぜ貨幣には発行年があり、紙幣にはないのか?
その理由を知れば、お金が幻想であることが、少しずつ分かってくるだろう。
元記事:http://blog.keima-infobiz.com/2009/03/post-5.html
アーティクルリソース:http://www.infomake.org/
お金の遣い方について考える 著 者: 高山直人
最近自分はお金の遣い方について考える時があります
お金は矯めるものではなく遣うものだと思っています。
消費不況の中、お金を溜める若者が増加しますが、わからないでもないです
しかし血液の循環に例えればそれは壊死しているのと同じです
経済は活性化しないと意味がありません
しかしだからといって闇雲にお金を使っていいのか、それは違います
まず最初に考えなければならないのが生活費でしょう
人間、生活費が基盤になってきますから生活費で如何に節約する
ノウハウを学ばないといけません
何を節約して何にお金を使うか
これはよく考えないと痛い目にあいますが、野菜ジュースを例に挙げると
私の場合は野菜ジュースはまず買いません
それは効果がないらしいからです
お金をドブに捨てるような行為を今までしてきた自分が恥ずかしいと思いましたが
今では野菜ジュースは自分で作っています
このように家で出来ることにあまりお金をかけずに必要なことだけにお金をかける
方が私は言いと思います
デパートで安いものを買うのもいいかもしれません。
これは主婦の知恵でしょう。
自分もやすいものしか興味がないです。
お金の遣い方は人それぞれですが一つだけ言えるのは必ず生活費をベース
に考えなければならないということを年頭に起きましょう
高山流情報商材のススメhttp://jouhousyouzai3.blog.shinobi.jp/
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